恋する寄生虫という本を読んだ。

内容としては、お互いに抱いていた恋心が寄生虫によるものだと発覚したとき、どのような判断に委ねるべきか、といった葛藤とそのドラマを描いたものとなっている。


そこでふと思ったことがある。

現実世界の私たちの恋という思いは、思考は、寄生虫によるものでないと誰が言えるのだろうかと。

例えば、子孫繁栄を促すための寄生虫の作用である可能性がある。

生命としての役割を全うさせようと、寄生虫が脳に恋愛という感情を植え付けているのだ。


現代社会では恋愛するを必要性はない。何故なら一人で生きていけるからである。

以前に現代社会に近い環境を模した「UNIVERSE25」という研究を耳にしたことがある。

ネズミ数匹にユートピア(食糧の無限供給)を提供したところ、ある一定数までは増殖するものの、徐々に社会性が失われていき全滅してしまうというものであった。

このユートピアというのは私たちのなかの寄生虫を殺す作用がありそうであると考える。


現に、私の中の社会性は一般的に見ても平均以下なのではないかと疑っている。

学校でも馴染めず、就活もままならず、就職後も同期と打ち解けるのが比較的遅い。

そして恋愛する必要性を感じていない。

いざ恋人ができても価値を見いだせず、ただ親切な人として寄り添ったが、相手から愛情が足りないと見捨てられる。

攻撃的な父と、それによってさらに攻撃的になる母に囲まれて育った私は「UNIVERSE25」で生まれるニートネズミに似たような社会性を持たせるように育てられた。


このようにして、私の中の生存本能のための恋愛という機能を促す寄生虫は絶滅してしまったのである。

これはいずれ、恋愛だけに留まらなくなるだろう。

三大欲求も寄生虫によるもの、人との関係も、家族関係も、承認欲求も、全て寄生虫によるもの。

社会は人と人が寄り添いあって生きているなんて言うが、これはただ人間が社会に寄生して群がっているにすぎない。

人間も寄生虫みたいなものだ。

あなたも、あなたの感情も、あなたの生まれた理由も全て寄生虫によるもの。


だからといって死ぬ理由にはならない。

寄生虫だと理解して、お互いに依存しあって寄り添いあっていけばいい。

あなたの中の、私の中の恋するための寄生虫を取り戻せばいい、それだけなんだ。