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涙色の朝日
小さな白い帽子を着た山私が少し前に登った山だ涙色の朝日に照らされ、今にも溶け出してしまいそうで悲しそうでも少し嬉しそうに帽子を自慢しているようだったこんなに綺麗な朝日に照らされ今日も元気に歩いていけるのはみんなときっと自分自身のおかげふと思い出したこの曲好きなんだと笑って話しかけたら君はいい曲だねと言ってくれた今の気持ちに少し似ているそして私はこの曲好きなんだと声をかけられたらいい曲だねと答えなければならない
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共感性が低いという悩みへの一つの解決案
私は共感性が低い。人の痛みに鈍い。誰かが辛そうにしていても、嬉しそうにしていても、「へー」という無感情である(一応人生で鍛えられた反射で共感するフリはできる)。テレビの向こうで泣いている人がいる。きっと辛いことがあったんだろう。そんな私はついに、やっと、この悩みへの理解が得られた。これが就活前に行うべきだった自己分析であったと。同じ悩みを持っている人にこの理解を届けたい。結論から言うと、とても簡単で、共感性が低い、ということすらも個性として利用してやれということである。私はこの悩みに10年以上悩まされたのに、思い付いたときは呆気なかった。そもそも共感性というもの、について話したいと思う。共感性とは、他者の立場を想像してその人の気持ちになれる能力の尺度である。共感性が高いというのは、右脳派や左脳派といったことで割りきることはできない。何が原因かと問われても、正直断定することはできない。強いて言うのであれば、私は遺伝や家庭環境であると考えている。結局他責思考か?と思われるかもしれないが、自己の性格の形成までは自分で責任を負うことはできないであろう。私は私の心を思いやって話しかけてくれる人が身の回りに居なかったと思う。愛情は感じていた。物理的に。困ったら助けるくらいの脊髄反射的な思いやりは享受してきた。お金にも困らなかった。何不自由なく育った。それなりの勉強をして、それなりの学校へ行き、それなりの就職をした。悩みを抱え、相談することはなかった。相談できる人がいなかった。私の家族はみな、頭ごなしの結論を暴力的に投げつけ、理解をしてもらえないと自分勝手に思いやった気になる。そんな日々を過ごした私は、社会ではサイコパスだった。他者を思いやれない、自分勝手、単独行動、いじめへの関与自分より頭の悪い人間をバカにする。気に入らない相手には傲慢に振る舞い、勝手な怒りをぶつける。私には共感性が低いあまりに犯した過ち、絶対に忘れられない苦い思い出がある。ある日、私が好きな人に対して放った一言「あいつなら君でも簡単に付き合えるよ。」自分の友達を平気で蔑み、好きな人からの印象も地の底に落としたこの一言がずっと脳裏に、瘡蓋を無理に剥がして永遠に治らなくなった私の膝小僧のように、こびりついている。そこで初めて、その好きな人から私を軽蔑する言葉、私の心を思いやった言葉を貰い、自分の異常さを理解することができた。そして、共感性という言葉を追求するきっかけを得たのであった。それからの日々も苦痛を度々感じていた。大学生になるとある程度改善され、大きな過ちを犯すことも減った。しかし、自分の共感性の低さは至るところで露呈し、性格の矯正の困難さを強く実感した。自分なりに共感力を高める試みはもちろん進んで取り組んだ。共有部屋が汚ければ率先して掃除し、誰もやりたがらない役割も進んで担当した。目が不自由な人の道案内もしたし、電車の乗り方が分からないと言ったおばあちゃんの案内もした。けれども、どれも誠実さを伸ばすことには繋がっても共感性を改めることには繋がらなかった。何故なら本心では、ちゃんと掃除しろよ、役割なんで早く決めないんだよ、邪魔だよ、忙しいのに声かけんなよなどと頭の片隅で思ってしまっているからである。自分は人間の失敗作だと思う。こんな人が世の中にいてはいけないと思うし、さっさと死ぬべきだとも思う。でも生きていてほしいと思ってくれる人もいるし、私もそんな人達に恩返しがしたいとも思う。自殺をした友達を羨ましく思うときもある。彼の絵はとても好きだった。彼が最後に言った一言が忘れられない。不自由な世の中に疲れました、と。私も共感性が低いという性格のせいで友達作りに励めず、一人を好む性格を強制され、自分の人生がどこへ向かうのか正直分からないでいる。でもこんな悩める毎日に今日、本日、とっておきの面白いことを思い付けたのだ。こんな私の欠点だらけの精神・肉体も全部利用しつくしてやろうってね。共感性が低いだって?そんなん全部利用しちゃえよ。人の怪我も悩みも死も理解できないんなら、そんな人間性の真反対にいる側の価値観ってやつを全力で押し付けてやろうぜ。人間の化けの皮を被った自分に少々呆れつつあった。一応ほんの少しの優しさは持ってはいるが、あまり出番は来ない。犬や猫の動画をみて癒される自分と、虐待的な思考を持つ自分がいる。そういったことが起こる度に社会的疎外感を感じるが、考える分には悪ではないと開き直ることにした。こんなことを言ってきたが、共感性を得ることに対する未練はタラタラである。必死に自分の言葉に間違いがないか目くじらを立てながら、誤解を与えないように、丁寧に丁寧に人間関係を作っていくよりも、適当に話しかけて友達を作って、ワイワイしたかった。なんでこんな人間に生まれてきてしまったんだろうと、後悔しない日はない。だから私はいま、共感性を高めるための意識をしつつ、共感性の低さを利用する作戦を練っている。社会的上位に立つ人間は共感性が低い人が多いらしい。戦略的に人付き合いをしていくことで、要らない人間を簡単に切れるためである。別に上位に立ちたい訳ではないが、そういった人達も同じ悩みを抱えているのではないかと思う。私はこのまま努力をしていけば共感性が高い人と低い人の橋渡しになれる可能性がある。コヴィーの著書「七つの習慣」では他者を理解しようとすることでしか、自己を理解されることは得られないという。つまり、理解しようとする試み、営みのなかで、関係性が築かれるということである。共感性が低くても理解しようとする姿勢は見せることができるのだ。まだまだ私にも可能性がある。こんな小さな思い付きに、少し慰められたのであった。私の生活環境が不本意なものであったというような記述をしたが感謝をしていない訳ではない。宇宙の広さを思えば私の悩みもちっぽけだ。私が一人の人間であるように、私の家族も一人の人間だ。後悔や反省に伴って成長する機会はいくらでもある。何事も長い目で見るのが大切なんだと、父が教えてくれたこの言葉は、私の胸の奥に大切にしまってある。拙い文章を最後まで読んでくれてありがとうございます。まだまだ文章力は低いですが、現在読書に邁進して鍛えているところなので、ご容赦願います。私のこの悩みも時が経てば解釈が変わり、より本質を捉えた形で説明できるのではないかと思っています。こいつやべぇやつじゃん…って思わずに面白いやつだな、この先の成長が楽しみだな、と長い目で見てやってください。
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寄生虫
恋する寄生虫という本を読んだ。内容としては、お互いに抱いていた恋心が寄生虫によるものだと発覚したとき、どのような判断に委ねるべきか、といった葛藤とそのドラマを描いたものとなっている。そこでふと思ったことがある。現実世界の私たちの恋という思いは、思考は、寄生虫によるものでないと誰が言えるのだろうかと。例えば、子孫繁栄を促すための寄生虫の作用である可能性がある。生命としての役割を全うさせようと、寄生虫が脳に恋愛という感情を植え付けているのだ。現代社会では恋愛するを必要性はない。何故なら一人で生きていけるからである。以前に現代社会に近い環境を模した「UNIVERSE25」という研究を耳にしたことがある。ネズミ数匹にユートピア(食糧の無限供給)を提供したところ、ある一定数までは増殖するものの、徐々に社会性が失われていき全滅してしまうというものであった。このユートピアというのは私たちのなかの寄生虫を殺す作用がありそうであると考える。現に、私の中の社会性は一般的に見ても平均以下なのではないかと疑っている。学校でも馴染めず、就活もままならず、就職後も同期と打ち解けるのが比較的遅い。そして恋愛する必要性を感じていない。いざ恋人ができても価値を見いだせず、ただ親切な人として寄り添ったが、相手から愛情が足りないと見捨てられる。攻撃的な父と、それによってさらに攻撃的になる母に囲まれて育った私は「UNIVERSE25」で生まれるニートネズミに似たような社会性を持たせるように育てられた。このようにして、私の中の生存本能のための恋愛という機能を促す寄生虫は絶滅してしまったのである。これはいずれ、恋愛だけに留まらなくなるだろう。三大欲求も寄生虫によるもの、人との関係も、家族関係も、承認欲求も、全て寄生虫によるもの。社会は人と人が寄り添いあって生きているなんて言うが、これはただ人間が社会に寄生して群がっているにすぎない。人間も寄生虫みたいなものだ。あなたも、あなたの感情も、あなたの生まれた理由も全て寄生虫によるもの。だからといって死ぬ理由にはならない。寄生虫だと理解して、お互いに依存しあって寄り添いあっていけばいい。あなたの中の、私の中の恋するための寄生虫を取り戻せばいい、それだけなんだ。
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愛する人との関係性
今日の空はとても綺麗だった。4月中頃の夕焼けに染まる白い雲と蒼い空とのコントラスト空は見上げる度に表情が変わる。晴れていたり、曇っていたり。風が強く、表情が転々と変わったり。時には雷を落とし周囲を驚かせる。でも結局、あの空を見てしまうと全部許せてしまう。愛する人にもこんな風に、愛せる部分を見つけたい。そうすれば長く一緒にいられる気がする。
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日本が抱える技術力に対して見えたもの
日本で活躍する技術力について考えてみたスピーカー、イヤホン、半導体製造装置、メインフレーム、無線機器、ゲーム機、自動車など全体的に進化のスピードが遅いもので活躍がみられるそれに対し、活躍できていない技術力についてPC、CPU、スマートフォン、ルーター、LLM、科学技術、宇宙開発、コンテンツ事業やはり、進化のスピードが速いものでは活躍ができていないでは何故このような相関関係がみられるのか実際のデータを使って分析したいが…現在PCを持っていないので仮説を立てて議論していく仮説1、人を育てることができないこれはよく言われていることだが、日本は他国よりも国からの大学に対する研究費が少ないと言う。これを問題視した近年ノーベル賞を取得した物理学者が賞金を大学へ納めたとも。近年の技術発展の速さは異常で、研究者を養わなければどんどんと置いていかれるのは目に見えているのに投資をしないのは何故か。これは少子高齢化や過去の年功序列、ゆとり教育に起因しているのではないかと考える。後継者を育てる人がおらず、さらに円安や赤字のために入れ替わりの早い技術への投資もできない。要するに八方塞がりなのではないかと。学生時代にもよく味わったが、技術がこれだけ発展しているのに社会に浸透するのが極めて遅い。インターネットは遅い、教育は整っていない、セキュリティが弱い。その環境、施設のトップが技術に疎い高齢者の集まりであるあまり、高齢者が理解するまで学生が待たなければいけない状態になっていた。そしてその平和ボケした人の集まりは、それに危機感を抱かない。平和に生まれた消費社会はこれをさらに加速させる。消費社会はYoutubeやtiktokなどに時間・お金を吸いとられ、日本の文化や産業を一切育てることがない。そして若者は消費のエンドレスに退屈を感じ、人との接し方を忘れ、死に向かっていくのだ。これからの世の中は、一人一人が自分のすべきこと、やりたいことを明確にしなければ生きていくことができない。何故なら親世代は時代の変遷を理解できず、置いてかれてしまった世代であり、背中で語るなどできなくなってしまっているからだ。これからの人材を育てていくにあたり、消費社会のあるべき姿を自己解釈させ、未来の日本をどう創りたいか、思考を促す教育をすることが求められる。そうしなければ、流行技術に乗り遅れ、隙間産業で細々と生きていく日本に成り下がっていくことだろう。○現代に至る前の日本はどうであったか。○これは日本の文化によるものなのか。○では、海外の文化はどうであったか。○今後、日本はどのような活躍をしていくべきか議論を進めるために参考書を読み進めていく予定
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引っ越しをした
最近、引っ越しをした私は3月に引っ越すことを目途に2月の下旬から引っ越しの手続きを始めていた2月から準備をする人は遅いほうだと世間では言われている。私自身、親からいつ始めるのかと何度も問いただされた。一般的には2月の始めから内見予約などを進めておくべきなのかもしれないが、その他の悩みを多く抱えていた私は引っ越しを後回しにしていた。実際のところ、何も問題はなかった。あるとしたら、引っ越し先が住宅地のど真ん中であるために、職場から遠く、飲食店もスーパーも周りにないことくらいだ。水道、電気、ガス、ネット、書類準備など面倒なことも様々あったが、今ではもうそんなこともあったなあと思う程度。引っ越しは何事もなく終わり、今は春の訪れを待ちわびているといったところ。さて、そろそろ2023年度も終わりを迎え、新しい年度の幕開けである。みなさんはどうお過ごしだろうか。私はお世話になった研究室の方々、そしてバイト先の方々、両親などに感謝の気持ちを伝えた。私がこうして平和に過ごし、新しい人生へと歩めることは、私を支えてくれた人達の温情によるものである。そして、こうして自分の歩みに満足できることは過去の私の努力の賜物である。今後も周りへの感謝を忘れず、自身の轍を深く刻んでいきたいと望んでいる。話は変わるが、先日私が大変お世話になっている方からあるお話を受けた。その方は、幼少期、医者を目指していた時期もあるほどに賢く、勉強に励んでいたが、ある病気を患ったために、夢や人生を諦めざる負えない境地に立たされたという。そのとき、昔ながらの友人に、諦めるのは早計であると、大学進学を勧められたのだが、それがなんと功を奏し、今現在の平和な日常に至っているということだった。その経験からその方は私に二つのこと説いた。それは、人の繋がりや縁を大切にすること、そして幸か不幸か決めるのは自分ではないということだ。人の繋がりは、自分の写し鏡であり、自分が何者であるかを知るために一番大切なものである。あなたが今何をすべきか、何をしたいか、それは繋がりや縁によって決められるものだと。そして、その最中に起こる出来事は未来によって判断されるものであるということである。今のあなたはその出来事によって不幸だと感じさせられてしまうかもしれないが、未来のあなたはその出来事を幸せだったと思い直す日が来るかもしれない。だからどうか、無理をせず、不幸だと思い悩まずに、人との縁を大切に過ごしてほしいと2月の上旬、部屋の掃除や免許の試験、旅行やバイトとの日程調整などに追われる中、恋人との突然の別れがあり、私は引っ越しの日程を大幅に間違えてしまった。そのため、引っ越しの搬出と搬入の間に大幅な期間が空いてしまい、実家にお世話になることを余儀なくされた。そして、久しぶりの長期の帰省で、1日3食、お祝いの美味しいご飯、お祝いのプレゼント、優しい言葉など、多くの幸せを味わった。
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今日やること
bluedogの起動発話 ソフトウェア基礎 情報・ネットワーク基礎 研究 - 日常会話からhdsrの項目に割り当てられるものを見つける - 質問と答えの組み合わせ - それを採点 - 目的がはっきりしていないからやる気が出ないのでは 目的は何か?- 認知症の早期発見を行いたい - 日常会話から分類するという手法を用いることで、患者の負担を減らしたい - 日常会話にはどのようなものがあるか? - 雑談(思い出、最近の時事ネタ、天気や気温などの環境、人間関係、ストレス、不満) - タスク指向の会話 - 認知症患者にはどのような傾向があるか? - 指示語を使う - フィラーを使う - 特定の話題で語彙力が変化する - 特定の話題で語彙力が変化するということについて、より深く分析したい!! - どのような話題で最も語彙力が変化するか? - 複数の話題を用意し、発話してもらう必要がある - そもそも認知症患者はどのような話題を好むか? - もし話題を選択させた場合、その話題がどのジャンルであるか分類する必要がある=>LDA
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お茶が届いた
いつものようにamazonでお茶を頼んだ 本当はクレカで頼みたかったがなぜかエラーが発生 仕方なく、今回は代金引換で頼んだ お茶は生活必需品だ